元不登校、現役大学生の雑記

自分の経験則を誰かの生活に役立てられるのではないかと思い、始めさせていただきました。過去の自分のように暗くて辛い生活で悩んでおられる方々の、一助となれば幸いです。リアルをお伝えできるよう心がけています。

民主主義と啓蒙精神 

 

 

■民主主義と啓蒙精神 

 ペルシア帝国に対するギリシャの勝利の後,アテーナイはその主導 権を把握し,大政治家ペリクレースの指導下,ギリシャ民主政の絶頂 を極め,都市文化の精華を誇った.この地がポリス文明の象徴となっ たのは,ギリシャ文化の特質を最大に体現したからである.限られた 規模の市民共同体における同等の市民間での卓越が,各市民の自己と 幸福の実現である.法の下での各個人の平等と自由こそ真の競争を可 能にする.民主主義の下で指導者として卓越するには,伝統的な軍事 の力量にも増して,広場(アゴラ)での民会と裁判を戦場とする,内 政的な能力が重要であった.その武器は弁論である.名声と富の獲 得,自身の幸福実現のため言論の能力が必須となった.ペリクレース ら大政治家は大演説家であり,有意の若者はこの技術をこぞって求め た.卓越性の徴表は武力から知力に変わり,この手段,説得の技術を 提供したのが知恵の教師,ソフィストであった.

■伝統的価値への懐疑  

ギリシャの学校」アテーナイは,各地から知識人を引き寄せた.自 由の下で外界に対する知的好奇心が増大し,文化と習俗の多様性に対 する目が開かれる.ヘーロドトスは,その歴史書の中で,ギリシャ人 には忌まわしい異国の習俗,結婚や埋葬の伝統を楽しげに紹介する. だが,国が違えば習俗も異なり,何が正しく何が悪いかすら異なって くる.この規範の相対性に対して,自然と本能は普遍性をもつ.さら に自然学(哲学)の流布の結果,習俗の掟と並ぶ伝統的な神々のいま 一つの領域である自然界は,科学的説明にさらされる.雨を降らすの はもはや天候神のゼウスでなく雲であり,単なる自然現象にすぎな い.自然は脱聖化され,伝統宗教儀礼は繁栄の中で形骸化する.  先進的な知識が集まったのは国力ゆえである.帝国の繁栄が強力な 軍事力に拠る事実が繁栄の中で肯定される.力の正義は,繁栄の下で は民主政の主導者としての健全な誇りによってよく支えてられてい た.ペリクレースはこのように語る.
われらは質朴のうちに美を愛し,柔弱に堕することなく知を愛す る.…われらの国全体はギリシャが追うべき理想の顕現であり,わ れら一人一人の市民は,人生の広い諸活動に通暁し,自由人の品位 を持し,おのれの知性の円熟を期することができると思う.(トゥ ーキューディデース『戦史』2.40-41(久保正彰訳))
だが,430年以降,スパルタとの覇権争いの戦争と疫病の災厄が人心の 荒廃させると,民主政の欠陥が露呈し,価値観の崩壊が加速化した.
そしてついにこの疫病は,町の生活全面にかつてなき無秩序をひろ めていく最初の契機となった.人は,それまでは人目を忍んでなし ていた行為を,公然とおこなって恥じなくなった.…生命も金もひ としく今日かぎりと思うようになった人々は,取れるものを早く取 り享楽に投ずるべきだ,と考えるようになった.…今の歓楽とこれ に役立つものであればみな,すなわち利益であり,誉れであり,善 であるとする風潮がひろまった.(同,2.53)
 繁栄が育てた個人主義が無際限な利己主義をもたらす.なによりまず 人間の生は命と快苦を感じる主体あってのこと.そして誰もが自分が 可愛い・中心であることに違いはない.自己利益の追求は自然であっ て,そこに理由は要らない.そもそも個人が他人を退けて行いたいこ とを禁ずるのが伝来の正義と法である.しかし,伝統的な価値,神々 を敬い国に従うよう説く道徳は果たして本当に真理に根差しているの か.そうでないなら,なぜ守る必要があろう──こうした思潮と,常 に真理を追求する哲学の精神があいまって,道徳と規範,正邪や善悪 について,当事者の立場や主張と離れた考察(やがて倫理学)が,ソ フィストたちの主導の下に広がった.さらに,そうした価値観の変化 と衝突の現状,伝統の擁護と堕落した倫理への抗議を,生々しい姿で 提示したのがギリシャ悲劇であった.