元不登校、現役大学生の雑記

自分の経験則を誰かの生活に役立てられるのではないかと思い、始めさせていただきました。過去の自分のように暗くて辛い生活で悩んでおられる方々の、一助となれば幸いです。リアルをお伝えできるよう心がけています。

聖書におけるメタファーとメトニミー

■はじめに

メタファーやメトニミーを考察するにあたり、そのテキストとして聖書を数箇所引用した。

これは聖書には詩的かつ創造的表現が多用されていると予想したためである。また、引用した節はどれも短く、考察するには不十分であると判断したため数箇所引用することにした。

 

メタファー

引用1

マタイによる福音書/ 05章 13節~16節

「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。 あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。

また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」

考察1

この部分ではあなたがた=われわれ人間を地の塩、世の光に例えている。この部分は青山学院のスクールモットーに掲げられている箇所である。

地の塩の意味は、塩が味をつけ、腐れを防ぎ、清める役割を果たす物質であることを前提に成り立っている。つまりここでは隠し味的に、目立たぬ行いで人のため社会のため、意味を与え腐敗を防ぎ、汚れを清めていく人のことを比喩的に表現しているのだ。

次に世の光誘導意味を考察する。前提として光とは燈・燈台の灯のように導き、明るさと暖かさを与えるものである。さらに殺菌し、滋養を与える効果も認められる。その如く、目立つ行いで希望の光として励ましと力、エネルギーを周囲に発していく人物のことをここでは示している。つまりあなた方の光とは周囲を励ます力やエネルギーを発することを表現しているのである。

またここで用いられている「地」も「世」も大地や世界という一般的な意味ではない。それぞれ「神なき現実」「人間の尊厳を失わせるような状況」の代名詞である。そうした状況の中で人々は、神の恵みにより「塩」であり「光」とされていることを強調するためにm詩的かつ創造的な効果を生み出している。

 

・塩→人間:味をつけ、腐れを防ぎ、清める役割を果たす

・光→人間:燈・燈台の灯のように導き、明るさと暖かさを与える

・地→現実:天との対比で神がいないことを含意

・世→状況:人間の尊厳を失わせる俗世を含意

 

引用2

マタイによる福音書/ 07章 13節~14節

「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。

しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」

 

考察2

ここでは狭い門≒命に通じる門が滅びに通じる門と対比されている。

ここでの狭い門の意味は、人間が入り口や出口を見つけづらく、もし見つけたとしても通り抜けるのに苦労する、ということを指し示している。

対して滅びに通じる門は、その先の道もそれまでの道も広く、苦労することなく簡単に通り抜けられることを意味しているのだ。

これらを踏まえると聖書の内容は決して、物理的に狭い門を通ることを推奨しているのではなくメタファーを用いて、苦労を買ってでもすることを奨めているのである。つまりここでは狭い門がプラス的意味合いで表現されており、反対に広い門や広い道はマイナス的意味合いを帯びている。

・門→ある区切りでの入り口や出口

・道→人生もしくは、ある区切りを迎えた先の人生

 

■擬人法

引用3

マタイによる福音書/ 06章 34節

だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。

 

考察3

後の「明日」が擬人化されていて、自分のことを心配するのは自分ではなく明日という人物である、という表現がなされている。その結果、明日という未来を拓くのは自分ではなく天の御心が開いて見せてくださる、という天の雄大さの表現に成功している。その結果ユーモアあふれるこの一節は、人間から天への信頼を促す効果も付与されているようである。

 

■メトニミー

引用4

創世記/ 04章 08節

カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、カインは弟アベルを襲って殺した。

考察4

ここで引用した文章は、カインとアベルがどういう人物であるのか知っておくことでメトニミーの考察が可能になる。

まず兄カインは神に農作物を供える人であり、農耕民族を表している。

また弟アベルは天に羊を供える人物であり、牧畜民を表しているのだ。

そしてカインがアベルを殺害することで、農耕文化が牧畜文化を駆逐し、勢力を得たことのメタファーとなっている。このことを踏まえるとカインは農耕民族、アベルは牧畜民族のメトニミーと解釈できる。

 

■考察

聖書を引用するにあたって様々な箇所を調べた結果、新約聖書のマタイによる福音書旧約聖書の創世記を引用した。新約聖書の多く部分では、イエス・キリストが民にわかりやすく説教できるように比喩表現やたとえ話を多用していた。そのため善悪を表現するために、プラスやマイナスの意味を付与させる比喩表現も多いように感じた。

対して旧約聖書ではその性質上神秘的かつ詩的であり、難解な比喩表現がよく用いられていたように思う。幾年にもわたって読み継がれてきたために、その内容も創造的であった。

 

■参考文献

青山学院公式サイト

https://www.aoyama.ac.jp/outline/ideal/

聖書本文

https://www.bible.or.jp/read/vers_search.html

谷の百合キリスト教

http://taninoyuri.jugem.jp/?eid=242

聖書を読み解くメカニズム

https://soar-ir.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=790&item_no=1&page_id=13&block_id=45